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  • EPISODE 2

いつかの私へ。

TITLE:
  • NAME :

    S.O.

  • JOINED YEAR :

    2003年 入社

  • DEPARTMENT :

    長野支社

  • SECTION :

    所長

首都圏で働ける。ただそれだけ。

正直に話そうと思う。私の場合、何か特別な理由があって、TEMSに入社したわけではない。もっとも、学生時代は電車の自動ブレーキについて研究していたが、特に電車が好きだったわけではないし、それに関わる仕事に就きたいわけでもなかった。じゃあ、なぜTEMSに入社したのか。それは、東京を離れたくなかったから。私は生まれも育ちも東京都。「JR東日本パートナー会社」というからには少なくとも首都圏勤務だろうと考えたのだ。だから、当時の私が今の私を見たら、きっと驚くに違いない。こんなにも仕事に夢中になっている姿を見て、わが目を疑うに違いない。

とはいうものの、TEMSの仕事に夢中になるまでに、そう時間はかからなかった。2003年の入社後、配属されたのは東京支店の東京電車線サービスセンター。東京エリアの電車線検査や工事を担当した。学生時代に近しい研究をしていたとはいえ、分野がまったく異なる。分からないことばかりで苦労した。加えて電車線は外に露出しているため、作業は屋外で行う。冬、冷たい雨が降る日などは大変だった。それでも前向きに仕事に取り組めたのは、メンテナンスに携わるやりがいを感じられたからだ。電車線は駅のホームでも、街中でも、電車が走っているところであれば、必ず目にするもの。自分がメンテナンスしたものが身近にあることを思うと、純粋に嬉しかった。それに厳しくも優しい上司や先輩のおかげもある。彼らは自分の仕事で忙しいにもかかわらず、ホワイトボードに図面を書いて丁寧に仕事を教えてくれ、ときには夜遅くまで残って指導してくれた。本当に感謝している。

「北陸新幹線建設プロジェクト」

2009年からは本店の安全推進部に所属し、事故発生時の対応や安全に関わるルールの指導を行った。配属から2年が経った2011年の春、上司にこう言われた。「北陸新幹線の開通に携わらないか?」。まさに青天の霹靂だったが、私は二つ返事で「やります」と答えた。TEMSの主な事業内容は、鉄道電気設備のメンテナンスだ。検査や修繕が主たるミッションであり、何かの建設に携わることは珍しい。ましてや新幹線開通という国を挙げたプロジェクトに関与するなど、滅多にないチャンスだった。

2015年3月に開業した北陸新幹線(長野─金沢間)。その建設プロジェクトは2011年4月に幕が開けた。私たちTEMSは長野─上越妙高間の電気設備建設の工事監督補助を担当。信号、通信、電車線、変電、電灯の各系統に、TEMSの社員が一人ずつ派遣された。私が任されたのは電車線設備だった。役割は、現場作業を行う施工会社の作業スケジュールの管理や、図面の作成、他系統との施工の調整などさまざま。これほどまで大規模なプロジェクトに参画するのは初めてで、困難な場面も多かったが、自分が描いた図面通りに設備が設置されていくことが面白かった。

現場で生まれ、現場で守られる。

長野─上越妙高間。そのおよそ30kmの道のりのうち、7割を占めるのがトンネルである。ほの暗いトンネルの内部に足を踏み入れると、壁に取り付けられた仮設照明の白い明かりが、暗く果てしない奥の方まで並んでいる。もうすぐ、青く輝く北陸新幹線が、ここを駆け抜ける──。現場に立つたびに、使命感に駆られた。冷たい空気に凍りつきそうな冬も、うだるような暑い夏も、その思いがあるから乗り越えることができた。トンネルを出ると、山の風景を見渡せた。秋になれば、赤く色づき始めた山々の稜線が、はるか彼方まで続く。長い間東京に住んでいた私にとって、そんな日常の風景が小さな癒やしとなっていた。

やがて、電車線をはじめ通信や信号、変電、電灯などの電気設備の設置が完了。その後、最終確認のために、区間内の各箇所をモーターカーに乗って回った。図面と照らし合わせながら、一つひとつ確認していく。よし、問題ない。その瞬間、この日のために奔走した4年間が、まるで走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

「北陸新幹線建設プロジェクト」。これほどまで大規模な案件に参画するのは、おそらくTEMSとしてもまれなことだ。当初は、その希少性に惹かれて手を挙げた。おかげで経験もスキルも積むことができたと思う。しかし、この経験を通じて得た一番の成果は、また別のところにあった。同じ目標を持つ者が、ともに苦労し、互いに励まし合いながら前に進む。「現場第一線」でしか味わえない醍醐味の再発見こそ、最大の成果だった。鉄道のみならずあらゆるインフラは、現場によって生み出され、現場によって維持される。本プロジェクトに限らず、TEMSが日常的に行っている現場業務の大切さを改めて感じた出来事である。

大きな一歩を踏み出すために。

長野支社やJR東日本への出向を経験し、2018年より本店の事業統括本部へ。その1年後、TEMSはJR東日本パートナー会社としての新たな一歩を踏み出すことになる。2019年度より、JR東日本メンテナンスセンターの一部で保守エリアの多くの業務が移管され、従来JR東日本が自社で行っていた業務の大半をTEMSが担うことになったのだ。検査業務の増加や障害対応、そして検査実施計画の作成という上流の領域まで、ミッションが大幅に拡大。それはJR東日本から寄せられる信頼の大きさを意味した。しかし、この大規模な業務移管に伴う課題は山積みだった。両社の役割の明確化、標準書の改正や業務マニュアルの作成、さらにはTEMSとして実績のない業務もあったため自社社員の教育指導も必要だった。私はJR東日本との窓口として、それら業務移管に伴う調整役を担った。

最も難航したのは、管理業務の調整である。新しく追加されるメンテナンス業務は、TEMSが培ってきた技術をもってすれば難なく習得できる。しかし、修繕計画などの設備管理は、私はおろかTEMSとしても経験がなく、何もかもが未知数だった。何をどのように実施し、何を成果物としてJR東日本に提出するのか、そうした細かい部分に踏み込んでマニュアル化しなければ、契約自体がなし崩しになってしまう。TEMSとして大きな一歩を踏み出すためにも、地固めはしっかりやっておく必要があった。それが今後のTEMSの発展にも、そして鉄道の安全にもつながるのだから。TEMSの未来を担っているという自負心が、私を前へ前へと突き動かした。

もし、できることなら。

およそ1年を経て、業務マニュアルの制定等のルールづくりは完了。JR東日本から業務が移管された。当初は手探りだった各種調整も、同じ部署の同僚や部下、そして現場社員の協力のおかげで、円滑に進行することができた。現在でもTEMSは、JR東日本に託された任務を全うできている。「事業拡大」というTEMSの大きな一歩。そこに微力ながら貢献できたことは、私にとって今なお色あせない誇りである。

現在は本店を離れ、長野支社にいる。長野サービスセンターの所長として、社員44名の勤怠や人事管理、部下の指導に取り組んでいる。初めての管理職で、まだまだ慣れない部分もあるが、一生懸命な部下の成長を見守ることにやりがいを感じている。

近頃は、TEMSの採用活動の面接官をやる機会がある。優秀な学生ばかりで、毎度感心しながら彼らの言葉に耳を傾けている。つい先日、ある学生と話しながら、ふと学生時代の自分を重ね合わせた。「東京で働けるから」という何ともいい加減な理由で入社を決めた、いつかの私。あれから17年が経つ。長いようで、あっという間の年月だった。今は東京に住む家族と離れ、長野に単身赴任している。働く場所が東京であろうとなかろうと、それは私にとって些細なことにすぎない。学生の頃からは想像もできないほどのやりがいを感じられているのだから。今、もしできることなら、いつかの私に向かってこう言ってやりたい。TEMSの仕事はおまえが思っている以上に面白い、と。

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